育て上げブログ

2018年05月30日

将来の安定って何だろう 


小学校で嫌だったことをエッセイにする依頼があったんですが、そもそも30年も前のことであまり覚えてもおらず、つらつらと記憶を辿ってみていました。そのとき「あー、あれはしんどかった」と思い出したのが、親の仕事について答える質問で、回答できなかったんですね。共同生活を通じて自立を支援する仕事を職業名で表現するだけの知識も知恵もなかったからです。 

 そして、そんな両親と似たようなことを仕事にしており、それ以外にも漫画のレビュー書いたり、大学で教えてみたりしていると、わが子に自分の仕事、何をしているのかをどう伝えるのか悩む日々です。法人に寄付を集める一貫でフルマラソン(チャリティランナー)を走るんですが、「パパ、なんでマラソン走るの?」と長男(6)に聞かれたとき、いろいろ考えて「仕事だからね」と伝えたところ、保育園で僕の仕事がマラソンランナーになっていたなんてこともあります。  

そう考えると、子どもにわかりやすく自分の仕事を伝えるのが難しいと同時に、ひとつの仕事だけをしていない場合も、どのように伝えるのか考えこんでいます。あれもこれもと丁寧に説明もできますが、小学一年生や保育園児にとっては理解が簡単ではありません。 

職業人生活の文脈において将来の安定は「正社員になる」ということで、それが本当に安定なのかという話はありますが、それを安定と考えれば目指せばいいですし、そこらへんはある部分は制度や条件によりますし、ある部分は価値観でもあります。ただ、若いひとたちと話をするとき、選択肢として将来の安定は「正社員」以外の可能性を持ち合わせていないんですね。それが故に、直近まずは「正社員」を目指すという。もちろん、方向性や「どこの企業はマッチしそうか」ということは一緒に考えています。 

貨幣経済から評価経済に移行するという話で、僕がどこまで理解できているかはあやしいのですが、そういう部分は確実にあり、どこかのレベルまで進展するだろうとも思います。そういう文脈はいったん置いておいても、日常生活では一定程度お金が必要で、仕事の目的のどこかに稼ぐことは介在します。稼ぐため(だけ)に働くというのも価値観と言えば価値観ですが、誰もがそれ以外の意味や意義を持っていたり、持ちたがってもいます。 

 そういうことをつらつら考えている間に、社会はどんどんアップデートしていて、特に職業人としての個人ではなく、自分自身という「個人」が評価や収入に直結するようなサービスが次々と現れています。それを眺めていて、ひとつの会社に所属してひとつの収入だけではなく、複数の収入を持ちやすくなったことで、それらをうまく組み合わせることができるなら、どこかの収入が途絶えても、それ以外の収入でやりくりする環境の方が安定度が高いのではないかと思うようになっています。百姓というか。 

すべてが身体性を利活用するもの、例えば会社で営業しながら、副業でウエイターをする、といつか身体が動かなくなったりすればできないことも出てきますが、身体性をそこまで必要としないものや、自分の楽しみや自分の持っている経験や知識、スキルを使った新しい「働く」なのか、そもそも働くではない「生きる」みたいなところが仕事になっていくのかなと思ってます。 

そうはいっても打席になってみないとわからないので、少しずついろいろなものを試しているところで、最近チャレンジしてみたものとして、  フレンドファンディングのPolca(ポルカ)、得意を売るcoconala(ココナラ)、できることを広めるtakk!(タック)といったものがあります。登録したからドンドン依頼が入るというものではありません。僕の提供できることのニーズや価値の問題が大きいわけですけど、それでもちょっとしたお金をいただいたり、応援や御礼をいただけたりすると、「面白いな」「楽しいな」と思います。 

こういうサービスが今後どのようになっていくのかはわかりませんが、月20万円の単一の仕事と、月1万円をいただける20の仕事、両方を組み合わせていくことなど、選択肢が多様になっていくということはわかります。また、その時の家族構成や使える時間や身体の状態でも、組み合わせを替えていくことで、自分なりの生きやすさや働きやすさを主体的に選べる、そんなようになっていくように思います。それは国や行政による社会保障とは全く別で、個人がどう生きていくか、働いていくかという話として。 
 

育て上げネット
理事長/工藤啓


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